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柳生新陰流

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ドラマや小説に頻繁に登場する柳生新陰流は、もっとも有名な剣術流派のひとつと言えるでしょう。

創始者の柳生宗厳(石舟斎)は、享禄二年(1529年)大和国(奈良県)の小豪族の家に生まれました。

幼いころから刀槍の術を学んだ宗厳は「五畿内随一」と言われる剣の使い手になっていましたが、35歳のとき、「剣聖」と呼ばれる新陰流の開祖・上泉信綱と試合をし、手も足も出ず敗れてしまいます。

感服した宗厳は信綱を柳生庄に招き、半年間教えを受けます。

そして半年後、信綱が柳生庄を去る際、「無刀取り」を会得することを宿題として宗厳に課します。

その宿題に懸命に取り組んだ宗厳は、二年後、再び柳生庄を訪れた信綱の前で見事な「無刀取り」を披露。

信綱は宗厳の修業の成果を讃え、その場で「一国唯一人」の印可を授け、新陰流二世として認めました。

ここに登場する「無刀取り」はよく混同される「真剣白刃取り」ではなく、斬りこんでくる相手の腕を極め刀を奪い制する技です。

のちに宗厳はこの「無刀取り」を徳川家康の前で披露。さらに自ら木刀でもって打ち込んできた家康からも、見事その木刀を奪い取ります。

驚嘆した家康はその場で新陰流に入門。宗厳はその指南役に五男の宗矩を出仕させ、以来柳生家は一刀流の小野家とともに将軍家の剣術指南役を務めることとなり、大いに隆盛しました。

■特徴

柳生新陰流は単なる斬り合いの技ではなく天下を治めるための妙術「活人剣」を理想としています。そのあたりが徳川将軍家から認められた所以でしょう。

技としては、心身ともに「無形の位」を本体とし、千変万化の敵に対して、無理なく転変して勝つ自在の刀法とのことです。




演武に使用されている剣は「ひきはだ竹刀」という新陰流独特の稽古具で、流祖上泉信綱により考案されました。

いくつかに割った竹に牛革をかぶせ漆を塗ったもので、やわらかく撓るため、防具なしの稽古が可能です。




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