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タイ捨流

兵法タイ捨流(タイしゃりゅう)は、丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)によって新陰流から創始されました。

■丸目長恵

Marume_Kurando.jpg

丸目長恵は天文九年(1540)、肥後国(熊本県)球磨郡の戦国大名・相良家の家臣の家に生まれました。

若い頃から武勇を誇った長恵は、19歳の時、京都の上泉伊勢守信綱に弟子入りし、柳生宗厳、疋田豊五郎、神後宗治とともに「新陰流四天王」に数えられるほどの腕前となりました。

伊勢守が将軍義輝に兵法を上覧する際に打ち太刀を務めた長恵に対し、将軍は直々に書状をしたため褒めたといいます。

その5年後、新陰流の免状を得た長恵は肥後に帰国。兵法指南役を務めますが、この間、肥後に潜入してきた他家の間者を17人処分したと言います。

しかし、その後の戦で失策をおかしてしまい主君に疎まれ出仕差し止めとなります。

信用挽回を期した長恵は兵法修行に邁進、九州一円の他流の兵法を打ち破り、そのことを知った伊勢守から、西国での新陰流の教授を任されます。そしてさらに新陰流に独自の工夫をこらし「タイ捨流」を完成しました。

やがて主君の勘気が解かれ再出仕した長恵は150石を得るとともに、多くの門人をかかえ、タイ捨流は九州一円に広まることとなります。

長恵の高弟の一人、伝林坊頼慶は相良忍群を組織し、藩主の参勤交代の警護を担いました。その忍群のうち24名が優秀さを買われ、将軍警護の補助としてお庭番を務めましたが、伊賀・甲賀・柳生のお庭番以上の評価を得たと言います。

長恵自身は悠々自適の晩年を過ごし90歳の長寿で没しました。

■タイ捨流の特徴

タイ捨流の「タイ」という言葉には、「体・待・対・太」などの複数の漢字が当てはまります。
つまりどの意味にもあてはまるし、どの意味にもとらわれない自在の剣法という意味です。

インド・中国・日本の武道を土台にし、新陰流から編み出したもので、真言秘教の法により完成され、敵を攻めるものでなく己を守る活人剣とのことです。

「右半開に始まり左半開に終わる、すべて袈裟斬りに終結する」独特な構えから、前後左右に飛び交いながら斬り立てたり、体術を取り入れたりと実戦的かつ必殺の剣です。



新陰流系統ですが、袋竹刀は使わず木刀を使っています。

素人目から見るとなんといっても蹴り技が目につきますね。あと、かなりジャンプする動きが多いなあ、と思いました。

そしてなんといってもこの先生の笑顔が良いですね。

こういう顔で笑えるようになることは、武道をやる目標のひとつではないかと思ってしまいました。

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